行基開基国分寺C

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寺院建築

空海唐を發するに當り發願祈誓して日く我傳へ得たる密教を奉じて日本に歸り法基を建つる霊區をトす、豊諸佛~の冥助なからんやと乃ち三箇の金剛析を投せしに其言虚ならず空を凌ぎて分かれて飛び紀伊の高野山、土佐の室戸岬、京の東寺とに堕つと、弘仁元年十月高野山にて法を修すこれより入定するまで同山に修法する五十一度に及ぶ、弘仁七年奏請して紀伊國高野山を贈はる。弘仁十四年京の東寺を賜り密教の法場とした、天長元年祈雨の法を修して霊験あり小僧都に任ぜられ天長四年又雨を祈りて大僧都となる。承和二年三月高野山に登り弟子を集めて遺告し結跏趺座して大日の定印を結びて奄然として入定した、時に年六十二歳であった。

行基開基国分寺

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