豊楽寺薬師堂

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霊場札所の美術

斬の如くして推古時代より藤原時代の終わりに到る約六百五十年間に於いて我が土佐にては古寺や社殿の著名なるものが各地に続々として建設せられしも永き歳月の間に腐朽倒壊し或は兵火にかかり或は颱風の緺に逢い創立当時の儘の建築物の存せるものは殆どない、その多くは後世の改築であるが只一宇珍らしくも藤原時代の古建築の現存するのを見る、それは西宝永村の豊楽寺薬師堂であるこの伽藍は聖武天皇神亀元年行基の草創にして日本三薬師の一である。行基は國中を巡化し五台山の竹林寺に來りたる後此の宝永を地勢上四國の中央にして如來有應の霊場たることを喜び一宇を建立せしに聖武天皇叡感深く大田山、大願院、豊楽寺の號を賜はった。昔は山腹に大田寺、南大門、極楽寺、蓮華院等の堂塔伽藍建ち並びて頰る隆盛を極めた。

豊楽寺薬師堂①

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