豊楽寺薬師堂B

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霊場札所の美術

元亀二年大風吹きて巨杉倒れ屋葢打破れたりしが長宗我部元親が天正二年に外陣を建てて大修繕を行ふたが内陣は仁平年間の改築のままである。傅説によれば長宗我部元親四国を平定せんとして軍を進めし時に宝永小笠原氏の軍兵当山に據らんことを慮り火を放ちしに元親身体萎縮して動くべからず尚又内陣焼けざりしその霊験に感じて本堂内陣を包みて外陣を建立し四国の總祈願所とせしと寛永十四年大風に大破せしを山内忠義公修繕し、文化二年火災ありて豊楽寺の大部分焼失せしも本堂は残り、文化八年本堂以外を改築した、明治四年となり廃寺の厄に逢い古来よりの實物、什器大半売却散失せしは遺憾に堪えない、其の後は粟生の定福寺の受持佛堂たるに過ぎざりしが、明治十八年に豊楽寺を建立し明治卅七年に内務省の特別保護建造物となり同四十三年修繕の大工事を施した。

豊楽寺薬師堂@

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