高松順蔵・千鶴の墓所

高知県の観光高知県の幕末土佐県東部編>高松順蔵・千鶴の墓所

安田町

幼少より勉学に励み、長じて江戸に出て、高名の学者等の薫陶を大きく受け、大成して文武両道の達人と崇められた。各地の文人、学者と深く交わり、また、近郷子弟は、その徳風を慕い教えを乞い、郡下の勤王志士、中岡慎太郎外著名の志士の育ての親であること、郡役所に呈した著書「経国私言」、歌集「採樵歌」の貴重性、藩主山内公の藩学者就任の懇請を辞退して、郷士に閑居して終生儒学教導に徹したことが、特に有名。妻、千鶴(1817〜1861)は、明治維新黎明の大立物、坂本龍馬の長姉であり、女丈夫、賢母の誉が高く、龍馬は、江戸遊学の前後、高松家に往来を頻にし、この大成には、小埜と千鶴の感化と、教導を大きく受けている。長男、太郎は、叔父の龍馬に従い、勤王党士の海援隊員として活躍をし、龍馬の死後は、坂本家の養子となり、その道志を継ぎ、実弟の直寛と共に、北海道開拓に尽力をそそぎ、顕著な功績を残している。小埜の実弟、涛亭は、幕末期の西洋医術者、洋学者としての活躍と、知名が後世まで大きい。

(看板引用)

高松順蔵・千鶴の墓所

                            高知県の幕末土佐(県東部編)へ戻る