鶴田塾跡

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長浜史跡コース

安政元年(1854)八月、吉田東洋は江戸上屋敷の藩邸で山内氏の親戚の旗本松下嘉兵衛を殴打する事件を起こし、参政(仕置役)を失脚、朝倉村の0幽居にいましたが後に長浜梶ヶ浦に移りました。十一月五日、安政の大地震の津波を受け家族と共にかろうじて裏山に逃げました。翌年四月、鶴田の地に小林塾を開きました。学風は南学の流れをくみ、集まった青年達は五藤象二郎、福岡藤次(孝弟)、神山左多衛(郡廉)、松岡七助(時敏)、市原八郎左衛門、福岡精馬、麻田楠馬、奥村又十郎、野中太内、長沢又七郎、大崎健蔵、岡本小太郎、小笠原謙吉、間崎哲馬、岩崎弥太郎らがいました。その後安政四年(1857)十二月、仕置役に復しました。小林塾とも呼んだのは、長宗我部元親公の菩提寺、小林山雪渓寺の山号をとったものです。

(看板引用)

鶴田塾跡

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