國分寺金堂

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第三章武家美術時代

第二節建築

聖武天皇天平十一年の草創なる國分寺は金光明四天王護國寺と稱し現存の金堂は正親町天皇の永祿 元年九月に長曾我部國親父子の再建せしもので奉行は吉川彥兵衛、御府四郎左術門である、それより九十五年を經てニ代の國主山內忠義が承應辰己ニ年十一月に修築せしもので奉行は小倉少助、下 奉行津野七郎兵衛、本願の住持堯榮、大工加藤治部、鍛冶木原作左衛門等である、現在の屋敷のその東側に幅ニ間長さニ町餘の土檀があつてその上は雜木林になってをるが、この土壇はこの國分寺の庭前に保存せられてある、國分寺創建當時の礎石と共に著名なるものにて創建當時の儘を偶ぶ尊 い紀念物で研究に價するものである。 金堂の建物は頗る古撲にして禪刹の作風を混じてゐて瀟洒淸爽喬樹寧林と相映じ當國無比の梵刹であつて內務省指定特別保護建造物となつてゐる。 屋根は寄棟造の柹葺で瓦棟を取附けた單層で瓦棟は巴丸瓦を併べて装飾し東西兩端に鬼瓦の上に鳥 衾を取附けてある、桁行九間に梁間十間で屋根裏は地垂木の外方に飛檐垂木を出し吹寄垂木としニ 本づつ並べ特殊なものである。柱は太き圓柱でその柱頭は三ッ斗でその上に繪樣肘木を置き桁を受 けてをる、正面の斗間には蛙股があつてその中に複雑な透彫がある、向拜の桁行はニ間半梁間は 半間で向拜柱はニ本となりその柱頭は複雑なる斗拱で大斗の上の肘木の上にニッ斗がありその上の 肘木の上は五ッ斗となつてをる。而して太き長押をつけ虹梁の拳鼻は象である。內陣外陣にある蛙 股や斗拱や繫虹梁や、拳鼻等の装飾は元親の改築時代のものを承應ニ年山內忠義公が修理の時に再 び用いたものである、蛙股と拳鼻とに土佐神社にある作風に似て居るのは同時代の建築であること を明確に表示してをる、外觀は腐朽してをるが全体の格好、棟、屋根、柱、斗拱等の整然たる間に 高尙にして閑雅静寂の威を起さしめる、內陣にある須彌壇は單層入母屋造にて室町時代の作にて懸 魚斗拱など優美にて化粧屋根裏となり全体に極彩色を施し楣間に牡丹の浮彫があつて扉は金箔にて 塗つてある。頗る優美なものである。

西養寺

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