由緒

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第三章武家美術時代

第二節建築

やがて仁王門に達する、この寺は大正十五年を距る千二百ニ年以 前神龜元年聖武天皇の勅願に依り僧行甚之を建てた、初め天皇一夜支那の五臺山に登り親しく文 珠菩薩を拜して三解脫の法門を聞くと夢み叡感深く行基をして彼の五臺山に似たる靈山を國中に求 めしめ此處に寺を草創し行基菩薩が一刀三禮して親作せる文珠菩薩の尊像を安置し天皇ょり金色敎 院の勅額を賜ひ勅願所と定め給ひ爾來日本に於ける文珠靈場として喧傳されてをる。かくして當國 に於ける由緒深遠にして尊嚴なる伽藍で嗟峨天皇の弘仁十三年空海當處に來つて虛空藏求聞持法を修し四國八十八ヶ所靈場卅一番の札所として世に知られ更に第ニの中興として空鏡上人出でて戰國 時代の荒廢せんとした當寺を復興してをる。

最御岬寺鐘楼

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