本堂

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本堂は先住職如珊が貞享ニ乙丑年十二月八日に再建せしものにて大工は夜須村近藤惣八郞勝重である。扮暮の入母屋造にて三間四面ょりなり西南に向ひ千鳥破風を正面に向けてある。用材は檜にて 柱は圓柱とし直徑約一尺十四本にて成立つてゐる、棟は箱楝にて鬼板には雲を刻し破風にも雲形 の彫刻を施して優美古雅である、本堂四面の圓柱の柱頭には斗拱ありて肘木を戴く正面の見附の上方鰐口を懸けたる上に、龍の優秀なる彫刻が施してある、屋根裏の垂木は大垂木を二重に用い疎垂 木とし橡の中央の上にて繫ぎ一方に九本づつ二重にし都合七十ニ本を用い裏板は一方を升形に仕切り縱橫に張り隅木より隅木まで十八に造り四面にて七十ニとして意匠を凝してある。四面に椽を設 け高攔あり、擬寶珠柱を立て昇降段にも高撊を附け壁板ど軒板は樅にて椽板は松、高欄は檜で昇り段は切石三段に造り內部の天井は竿なく鏡板張天井で用材は杉である。內陣の厨子は丸小柱六本を開閉の箇所を中央と左右に設け扉六枚を施し中央と右は槍、左は栃の木である。此の建築は 昭和ニ年を去るニ百四十ー年以前の建築にて、彫刻は少きも深山の奥にありて手法優秀古色蒼然と して掏すべきものがある。

本堂

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