十二所神社遙拜所

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第三章武家美術時代

第二節建築

境內に十二所神社遙拜所がある。これは神社建築の欄に述ぶべきであるが便宜上茲に附記する。 客殿の北方にて本堂の東北一町餘の神宮が森に奥の院なる十二所神社がある、これは熊野の三所な る新宮、本宮、那智の十二社權現を勸請せるものにて長谷寺の鎭守になつてゐる。この奥の院は千 古の老樹鬱蒼として繁茂し古來陰翳晝尙ほ暗く怪鳥棲み容易に參詣すべからす、故にこの遙拜所を建立せしものにて現存の建物は弘化年中に先住職宗陸の建立にて大工は東川村の別役三九郞である入母屋造りの亞鉛葺にて千鳥破風を正面とし內陣四尺四面向拜の部分四尺四面にて三面に廻り椽を附け高欄を設け脇障子ありて左右に鯉の瀧昇りと瀧降りを刻んである。用材は全部檜の良材にて屋根裏は地垂木の外方に飛檐垂木を出し繁垂木にてそれぞれ彫刻を施して結構善美を盡してゐる。向拜の柱頭に斗拱ありて虹梁の上や周圍には優秀なる龍や虎や象の彫刻があつて刀痕深刻にして卓拔であつてこの山中にかくの如き森嚴莊麗の建造物あるに一驚する。

本堂

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