土佐神社楼門

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

鼓樓は慶安二年山內忠義公の再建に係り神佛混合時代の鐘樓なりしを明治の初年吊鐘を橄去して名稱を今の如く改めたものである。元は忠義公が室戶岬なる最御岬寺の鐘樓と竹林寺の鐘樓と共に同ー形式に從つて再典したもので西向の建物で柿葺瓦棟入母屋造の重層で建坪八坪一合二勺、高さ四 丈樓上の四方に緣を出し欄干を設けてある。屋根裏は二重垂木で地垂木の外方に飛擔垂木があり繁垂木となつてゐる。桁の下には本枝輪があつて精緻である四面の十本の圓柱の柱頭には各々支那宋風の複雜なる詰斗組である。天井は格子天井で斗組と斗組との間には蛙股がある。その蛙股の中には虎、.魚、牧童、鳥、仙人、松、菖蒲、鷺等の透彫がある。柱も斗組も枝輪も垂木も欄干も全部極彩色し羽目板や雲板には種々の模樣が書かれてあつたが今は剝脫してをる。階下は上部に上層の部分と同樣の詰斗組があつてその間には透彫の這入つた蛙股があつて極彩色を施してある。斗組より下部は外方に斜に蔀板を取附けて鼓樓の脚部を包み衣の裾を曳いた如く曲線をなしてをる。この建物は權衡ょく建てられてある、國中にてこれと同一樣式にて建てられた竹林寺の鐘樓は旣に暴風に破壊された、今は東寺の鐘樓と共に殘つてゐる紀念建築である

土佐神社楼門

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