鳴無神社

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

當國に於ける六百有餘の神社中にて建築の美を誇る建物は隨分多い、然しそれ等の中にて斬然群を拔きて傑出せるものは鳴無神社である。この神社はその建築用材が悉く神代杉の柾目のみを使用し工作手法は巧妙を極め建築の粹を盡してゐて大工は名匠左甚五郎の一族の子孫であるとの說があるが信僞は兎も角にしてその要部は只栓一本を用ひて建物をとめたりと賞讃せられて居る。特に本殿の如きはあらゆる部分に極彩色を用ひて全社殿を彩どり花木、神仙、鳥獸の彫縷は莊麗にして土佐に於ける古今無比の美術建築で人目を眩せしむるに足る、社殿の位置は橫波三里と呼ばるる高岡郡浦の內村中の浦の對岸にあつて三里の江灣山勢或は逼り或は開き淡碧濃翠互に映發し風景奇觀畫中に入る思あらしめる。その建築はよく天然の美を背景として利用し人工の美を盡して遺慽がないその後方は深山を負ひ前に碧海をひかへ社殿の倒影を江水に寫す狀は安藝國嚴島神社に譬へて鑑賞することが出來る、祭神は土佐神社ど仝神にて一言主尊である。その由來は奈良朝の天平寶字前の創建どせられて居るo爾來每年御船遊とて入海の中を渡海神幸の式があり一宮の土佐神社よりも神 輿渡御があつて盛大に行はるる例であつたが或る年土佐神社の神輿が濱傳ひに還御中に吾川郡長濱の名村の鼻にて黃昏に數多の狼出で來り神人を喰ひ殺せしより神輿渡幸は神慮に叶はずとて廢するに到つた、社殿は建久五年、正治ニ年、嘉祿ニ年に造營したが現今の建物は山內忠義公寬文三年癸卯八月に再興せしものである。左に本殿、幣殿拜殿の建築につき記すれば

土佐神社楼門

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