甲浦五社神社

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

五社神社は藝郡の東端甲浦町の白濱の森の下部落に鎭座せる村社である、此の地は港灣出入し天然の良港にして帆檣林立し肆店軒を並べたれども境內は港頭ょり西南方八町餘の處にありて蜑莊蟹戶ー部落をなし前には漂渺たる蒼波の汀洛を洗ふあり後には江水緩に流れて漁舟岸邊に繫がるるあり民家水を隔てて相對互し鷄犬の聲相通じ田隴礎洲の各處に點綴し山水明媚にして風光絕雅に絕好の畫材である。この神社の由緒は寬文九已酉年六月に甲浦白濱の領主明神信勝の勸通せしものにして祭神は表筒劣命、中筒男命、底筒男命、息長足姬尊、明神祖神等である、明神氏は長曾我部元親の遺臣であつたが寛永九壬申年に山内忠義公に仕ふることとなり此の地の領主となりしものにして當時鹽田を整理し驛路を整へたるに民家百餘軒ありしと神社記に錄せられてある、寬保ニ年國主參勤の爲め東上の節此の地に滯在し日和を祈願して本殿舞殿を修理し以後その例を開いてゐる。 境內は廣からざれども老樹叢生し盡尙暗い、天明元年六月と刻せる古き石造の鳥居と文化四年六月廿九日と銘せる石燈籠とが目につく。

土佐神社楼門

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