山北村淺上王子宮

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

淺上王子宮は山北村字鎌井谷に鎭座す、後には巍峨たる嶮峻を負ひ前には田畝を隔てて諸山環拱起伏し民家は散在すれども蓬戸茅屋多くして幽閑靜寂の仙裳である、境内は老樹叢生し森々として蒼天に聳ぇ神威の祟高を啓示してゐる。祭神は天照太神にして由緒は貞和年中香美郡徳王子村より勸 請とす云ひ或は村上彥四郎義光次男長輝が應永三年紀州熊野より德王子村へ勸請し王子權現と號せしが同家山北村へ轉住するに當り今の所へ勸請すと、楝札には天文三申午歲三月十ニ日以後のものがある。神体は金佛五体である。

土佐神社楼門

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