須崎町八幡宮

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

須崎町の八幡宮は町内店舖櫛比の所にあれども境內は千古の老松蓊芥として茂り、蒼翠蟠礴蔭翳盡尙晦く神德の崇高森嚴を啓示してゐる。祭神は誉田別命、大日靈貴命、天兒屋根命である。その由緖は長竹我部元親の三男なる津野親忠が勸請せし城內鎭護の守護神なりしに鰯根の城廊守衛の立願 のことより現在の地に移すに到つた、然して元親が甞つて親忠信親等を率ひて九州に出陴の時は鎰 ー具に武士形の人形を添へて祈願を込め出陣せしことがある、德川時代に入り寶水四年の大海潚に當りては神殿もその禍災に逢ひ寶物もー部分流失した、神輿も太平洋に押流されたるを伊豆國下田の漁船携へ歸りて祭り大漁にて喜び居たるを安藝郡田野村の帆船の江戸よりの歸航の便船に受取り歸つた逸話がある。

須崎町八幡宮

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