池川町池川神社

トップページ高知県の観光高知県の美術第三章武家美術時代>池川町池川神社

第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

池川神社は池川町土居に鎭座せる鄕社である。社殿は土居の町の街道よりニ町ばかり上方の岡の上に南面し風景颇る優雅である、境内並にその附近は仁淀川の上流なる池川脚下を流れ群山重疊すれども嶮峻ならす山容秀鹿にして田圃丘陵森林の配置千狀万態天工の妙を極め花晨月夕の眺望絕佳にして天秀を集むる仙境である。當社の祭神は天照皇太神、豐受大神、石鎚毘古神、一言主神大已貴神等であつてこの境内に三所神社、石鎚神瓧、高賀茂神社、當社大明神を合祭せしものであるからその出緖は種々異つてゐる。天照大神、豐受大神、神明宮を祭れるものを古來三所神社と云ひ土居の產土神であつた。昔は大戶三社權現といつたこともある。明治三年に書せし記錄に安部肥前守藤原宗岳頭、筑前守西森愛助、武谷數馬、柳原右兵衛僅平之丞六人源平戰爭の節壽永ニ癸卯年讃岐國に下る、建久元年十ー月土佐國立石に着く、ニ年辛亥夏六月池川寄合に住す五年寅惣鎭守山に祭る、池川始めての氏神なりとしてある、又享保八卯年年調に此の鄕神先年鎌倉より迎へ來る由なるが何の時代なるや不明であると記述してある、次に石鎚神社は伊豫の國の石鍵神社を勸請すと記錄し又高賀茂神社は享保八年の調に伊豫の内段の上より迎へ來ると云ひ傳ふと記し更に當社大明神は明和八年奉納の神鏡に杵築大明神と記入してあるので、その由緖が想像せらるる。

須崎町八幡宮

トップページへ戻る  高知県の観光へ戻る 
高知県の美術へ戻る