須崎湾
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須崎市
嘉永六年(1853)のペリー来航以来、土佐藩では郡奉行を強化し、須崎にも常詰の郡奉行が置かれた。翌年には須崎への異国船来航もあり、文久三年(1863)には砲台が建設された。また、慶応三年(1867)には、長崎で起こった英艦イカルス号水夫殺人事件の嫌疑が海援隊士に掛かり、談判のため英公使パークスがバジリスク号で来航した。湾内は幅が狭く奥深で、須崎港は良港として知られる。しかし、その形状ゆえに、津波の被害を受けやすく、南海地震の際には度々被害を受けている。
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