夜須八幡宮

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

夜須八幡宮は夜須の町の東西に通せる街道より北方へ約十町餘の小高い岡陵の上の形勝の地にあるニ町餘の松並木の馬場ありて靈域の凡ならざることを示してをる、祭神は應神天皇にて創建年代は不明であるが京都の八幡宮を勸請したりと傳へられ古來正八幡と云ふ末社に武內宿彌を祭る、社地は最初は手結港の北方の知切部落に假に鎭座ありて後に夜須の出口に移し更に三度移して現在の處に鎭座すると。棟札の奮きものは天正ニ年戍十二月上葺八幡御社檀一字本檀那秦元親同千雄丸惣奉行の銘のあるもので山內忠義公の棟札も寫しがあつて奉上葺八幡宮舞殿橫殿大檀那土佐守、同代官勝部新助、大公鍛冶神左衛門、大公番匠野島惣左衛門、本願鳥井次郞太夫慶長十五年四月ニ月に記してある。神像は一尺ニ寸の木像で左右に阿彌陀長さ六寸二分藥師長さ六寸五分觀音六寸五分を安置してある此の地方は今を去る約七百餘年の昔壽永年間に夜須七郞行家の領せし處にしてその古跡が附近に多い、祭典に百手祭と唱するものあり、その起源は往時その奥の谷に牛鬼住して凶行をなし田畑の毂物を荒したるを近藤某と云ふもの八幡宮に祈願してかの怪物を弓にて射殺したるに緣起するとのことである、當社は古來寶田山の檜材の下賜を受けて改築するのが例であつた。

須崎町八幡宮

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