幡多郡入野村加茂神社

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

入野村の加茂神社は仝村の東濱字松原に鎮座の鄕社である。此地は伊田岬の西方の海濱にありて當國にて有名なる靑松白砂の松原が半里餘も打續きて景色最も絕佳である。此の松原は秦兀親の老臣谷忠兵衛忠澄が中村の城代たりし時に罪人に課して植へしめたる物であると傳ふ、此の村は人家相集り小町をなし坂東の主驛をなしてゐる。加茂神社の祭神は事代主神の孫なる大鴨積命で一名を別雷神ともいひその子孫賀茂姓を賜はつた姓氏錄に大加茂都美命賀茂神社に齋き奉るとしてある、加茂姓のものが神社を祭つたものであるこれに八幡宮を合祭してある、延喜式三千一百三十ニ坐の內の一社にて古來よりこの地の祟敬が頗る厚い。其由緒は詳かならざるも南は賀茂神社にて北は八幡宮になつてゐるが八幡宮は石淸水より勸請すと傳へられ往古は八幡宮は同村の早崎の八幡原にあり賀茂社は加茂といふ處にあつたが何時の頃にか入野の松原に兩社一宇となつた、應仁の頃に藤原家基が再與の由が傳へられてゐる、當社は甞つて寬永四丁亥歲の地震に社殿は全部流れしも瀨干に當り再び元の所へ流れ歸り少しも損傷せず寶物も流れざりし由である、棟札には最古のものが八幡宮を天正五年六月吉日に大檀那吉良播磨守平親貞が藤原朝臣定次喜兵衛尉本願般眷上人等と再興せし由のものがあつてそれより時代順に記すと慶長四年八月吉日本願近藤宗貞神主宮本七郞左衛門云々裏に梵字あり「慶長十四年酉十二月吉日本願曾根十兵衛高嘉、神主宮本七郞左衛門」慶安三庚寅歲八月日元祿十三庚辰歲極月吉日豐昌公材木寄進し享保十ニ丁未正月吉日豐敷公材木寄進の棟札がある寶永四年前後に於ける當社の構造は本社は枌葺にて一丈四尺に七尺の太さにて三面に切目椽を附けてあつたが地震後に瓦葺とした、舞殿はニ間と一間半であつた、拜殿は桁行五間半奥行三間であつ.て神庫もありて桁行ニ間奥行九尺であつた。當社の境內には寛永年間の大津浪の慘狀を石に刻し後 世の人々に對して津浪に對する警告の碑が立ててある。

須崎町八幡宮

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