池川町河島山神社

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

河島山神社は池川町百川內の川島山に鎭座せる村社にして、その規模宏莊にして建築樣式より神仙鳥獸の彫鏤の卓絕し結構秀美を盡せる點に於て當國の村社中に冠絕す、境内は南に溪流を臨み河中に寄巖珍石多く水石相鬪ひ處々に急湍奔瀨を作る。長橋あり之れを渡りて北に進めば石階段を登りて南面せる社殿に達す。神林は椎、杉、柏等の千古の老樹天を鎖して蟠礴環拱し蔭翳晝尙暗く滿目森嚴にして神骨を懼然として神靈の崇高を感得する靈地である祭神は神代の七代神にて、國之底立 神、豊斟淖神、宇比地邇神、須比智邇神、角檝神、活檝神、大斗能地神、大斗乃辨神、淤母陀流神、訶志古泥神、伊邪那岐神、伊邪那美神等でその由緖は嘉吉三癸亥年勸請であるがその後の緣起や沿革は未詳であつて往古より大野及び百川內の氏神にて元七社天神と稱したが明治三年改稱して河嶋山神社といひ村社に列した、往古は本殿は桁行七尺梁間四尺の板葺にて舞殿の內にあつた、そして舞殿は桁行ニ間、梁間五間であつて宮林は五十間四面にて御神体は畫像であつた、楝札には亨保十三戊申歲十一月十八日池河大庄屋亦堀源右衛門光重、大工與州松山住人藤原氏云々のものと安永四乙未歲中冬始八日のものと天保三壬辰歲十ー月八日のものなどがある、社殿は南面し現存の建物は本殿拜殿と共に天保三壬辰年十一月八日の改築にて寄附金纒集の世話などは當時大野の名本であつ た西森新助がなしたことが拜殿正面に板書して殘つてゐる、大エは周防大島郡西方村吉門友助吉門磯平一族の手によつたものにて用材は櫸の良材を用い楣間柱楹、鬼物、畫圖結構莊麗秀美を竭してゐて當國の神社中にて最も奇拔にして神仙花鳥の彫鏤異彩を放ち放膽奇嬌を凝せること當國の鄕社村社一千四百餘社中にて當社の右に出づるものはない。而してその建築樣式が槪觀に於て池川神社に類してその複雜なるは年代かれより後世なるも建築大エが同國人の同族吉門氏なるによつたからである。

須崎町八幡宮

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