赤野大元神社

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

赤野村の大元神社は八流山の西麓なる坂本にある、社殿が北向となつてゐるのは奇異であつて種々 の憶說を生じて居る、境内は老杉蓊鬱として繁茂し白日尙暗きを覺ゆる、社頭に樹齡數百年を經過せし檜の巨樹があるので^靈感人に迫るの感あらしめる。祭神は天御中主神、高皇産靈神、神皇產靈神となつてゐるが、舊記によれば稲毛或は稻荷神社にして、造化三神は元は祭神とせしものにあらずとの說があつて、古老の說にては德川末期改築前は赤塗の社殿であつたとのことである、創建の年代は不詳であるが、神社記によると萬延元申年八月本殿再興の時に內陣の天井の上に古き御靈宮を發見したが、その背面に「奉再興大元御尊神應永第卅ニ年丙午六月八日神主時貞王殿首」と書してあつた、又「康曆年間の古鏡も傳はりたるも當村常願寺の僧持ち去つた」とあるので餘程古い神社であることが分る、楝札は天正十ニ年以來のものが多くある。

池川町河島山神社拝殿

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