赤野大元神社本殿

トップページ高知県の観光高知県の美術第三章武家美術時代>赤野大元神社本殿

第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

本殿は萬延元年申八月廿一日の改築で大工は井の口村の松井笄右衛門である銅板葺の流れ造で桁行一間半梁間二間で屋根裏は地垂木の外に飛檐垂木を出だし流れ破風の懸魚も桁鼻隱しも優れた彫刻である、柱頭は三つ斗で楣間には蛙股の代用に惠比須に松、獅子、等の複雜なる彫刻を施してある又側面の彫刻には猿、鷹、虎に竹、鹿、鶴、龍等を現はし後面には馬と牛の優良な彫刻がある、向拜の虹梁の拳鼻は龍で向拜と本殿は海老虹梁にて繋ぎ扉には魚に乘れる人物を透彫としてある。拜殿は本殿より三十年前即天保八酉年五月吉祥日に改築したもので大工は後免の坂本定之助である瓦葺の入母屋造の桁行四間半と梁間五間の建築で千鳥破風を正面に廻してあるその破風の部分は上部に懸魚をかけてその下方には蔀板を格子で組んだ箋にて押へてある、屋根裏は化粧屋根裏で地垂 木のみである、柱頭には斗組などはない、虹梁や柱は木割が大きい爲め剛建に見ゅるが正面の楣間に格子とも何ともつかざる部分を殘してあるのは目障りである。幣殿は拜殿の後方にあつて瓦葺、の切妻造で桁行ニ間、奥行一間世餘である。

池川町河島山神社拝殿

トップページへ戻る  高知県の観光へ戻る 
高知県の美術へ戻る