徳王子若一王子宮

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

德王子村の若一王子宮は背後に峰巒盤礴して蒼翠天に連る如く古樹淼々として繁茂し前には曠野遠く開け赤岡岸本の街衢^-隔てて宇多の松原を望む形勝の地なる澪標に鎭座する祭神は天照大神と池田親王にて相殿に速玉男、伊邪那美命、事鮮男神を祭祀してある。勸請の時代は不詳であるが古來大忍鄕八ヶ村の總鎭守であつた、明治五年鄕社に列し大正十三年縣社に昇格した、神社記に依れば此の社は昔熊野より村上永源上人御厨子を背負來り此の村に勸請すと元若一權現と稱し、文保三年 三月十六日神領千石を下すとの花園院の御綸旨御直筆の古文書がある、長曾我部元親は陣中より數度當社の加護を蒙りたりとし四國平定後社領を寄附した、楝札には應永十二酉年十一月廿八日若一王子楝上永祿四辛酉年九月七日大旦那長曾我部秦元親云々のものあり、又元和七酉年十二月廿八日大旦那忠義公云々のものもある。

池川町河島山神社拝殿

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