徳王子若一王子宮本殿

トップページ高知県の観光高知県の美術第三章武家美術時代>徳王子若一王子宮本殿

第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

本殿は楝札によると國主山內豐熙公の時代即ち天保十五年辰九月の改築による現存せるもので當時の社寺奉行は村田龍次にて大工棟梁は大津村の坂本利隆になつてをる。 而して其の構造は入母屋造扮葺にて棟の上には千木高く聳へ勝男木を頂き千鳥破風にて懸魚は優美に桁行ニ間梁間三間で正面の千鳥破風の下部に唐破風をつけ懸魚が優れてをる、屋根裏は地垂木の 外に飛檐垂木を出し柱頭は斗組が二手先となり尾垂木を用い雲板にて裝飾してある。向拜の虹梁の 拳鼻は龍にて向拜を本殿に結ぶに海老虹梁を用いてある。正面の波蛙股があつて三柏葉の絞を附け 三面に椽を附けて欄干を繞らし左右の脇障子の彫刻もよく本殿の正面の左右に左右大臣の神像を安置してある。

池川町河島山神社拝殿

トップページへ戻る  高知県の観光へ戻る 
高知県の美術へ戻る