下半山村三島神社
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第三章武家美術時代
第二節建築
二、神社建築
下半山村の三島神社は新莊川を溯ること約三里餘の同村姫野々の字大宮に鎭座せる鄕社である。峯巒魏峨として蒼天に聳え四顧の丘谷環拱深阻し白雲漠々として峻嶺を鎮し民家はあれども蓬屋茅舍の舊隱家にして靜寂優雅の仙境である、境內は千古斧鉞を入れざる老樹亭々として半空に鬱茂し蒼翠詭狀蟠礴して崇高森嚴の氣人に迫るものがある。 祭神は大山祗命にて相殿に天神宮、十六王子宮、諏訪神社を祭り尙津野神社を合祭してある、その由緖は未詳なるも傅言ふ往古津野經高が伊豆國より勸請すと、又ー說には經高十代の主泰高の養子備前の守藤原之高が伊豫國河野氏の弟にして半山姬野城主に移る時伊豫國より勸請すと棟札には慶長以前のものはなく只、建武五年の銘ある鰐ロがある、最古の楝札は奉再造三島大明神慶長十五年九月十八日、本願主中山太郞兵衛藤原房重云々との銘がある。社殿の建築は弘化四年の改築にして大工は後免の島崎重春一族の手によつてなつたものである。
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