野市町野々宮神社

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

野市町より北へ明治衬に通せる街造を約八町餘を行くと右手に老樹疎に茂れる森が野々宮神社である、この地は吾妻鏡に記載せられし著名の所で養和ニ年壬寅九月廿五日に夜須七郞行家は源希義が蓮池家綱、平田俊遠等に圍まれたる由を聞き之れを救助せん一族を率ひこの野の宮に來りし時希義が年越山(坂折山)にて打たれし由を聞き空しく歸去つた地である祭神は未詳にて野槌神なりとの說もある、その由緖は明かでないが元祿十四年九月に本社を爯輿せし桂井素庵の石に刻せし撰文によればこの社のある所には年久しく基址があつて廢れて社も無かりしを里人がその遺林を社と定めたものにて當時野々宮新三郞社と云ひたるもその謂れは知れない。再興せしものは野市村の鄕士原源五右衛門重成でその年代は山內忠義公の時にて正保ニ年乙酉の年に當つてをる。然るに寬永年間に及んで當村を開墾するに到り初めて村落となり惣鎭守として祭り始めたものである。

池川町河島山神社拝殿

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