田野町八幡宮
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第三章武家美術時代
第二節建築
二、神社建築
田野町の總鎭守である八幡宮は町の西端の北方丘陵で松柏、椎、杉蓊勃として茂る八幡山の森の中にある、小高き形勝の位置にあるので社殿に'參詣の石階段からの遠望が誠によい。祭神は應仁天皇、神功皇后、高良王垂命の三柱で勸請につきてはニ說あ。一は昔高田城主高田法橋守が千福の下司堂に勸請し其の後に現在の八幡山の社地に遷したと云ひ他は.田野の.舊領主大野豊
前守勸請すと、社殿は寬永七午年に山内土佐守中老富永伊織が本殿一宇を建立せることが傳へられ てをる。棟札によると明曆ニ丙年八月と天和三癸亥年九月と正德ニ壬辰年四月、寶曆十庚辰年八月、明和八辛卯年八月、天明七丁未年九月とに改築した銘のものがある、現存せる本殿拜殿は安政
四丁已八月の改築によつたものである。社殿の建築樣式の規模は宏莊にして頗る完備し莊麗なること鄕社として藝郡第一位にあり結構善美なること縣社神峯神社に次ぐものである。甲の浦、浮律、
吉良川、佐喜濱、羽根等の八幡宮は本殿何れも柱楹、彫鏤善美を竭し規模莊麗なれども拜殿並に弊殿之れに伴はず均衡を失して粗末であるが當社は拜殿幣殿も本殿にふさはしく建てられてある、それは種々の理由もあろうが一は當地には德川時代に御郡方の役所があつて此の郡の主要なる繁華の
所であつた爲めであろう。
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