香宗村立山神社

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、神社建築

香美郡香宗村の立山神社は赤岡町の北なる平井山の東北約八町餘の土居の田圃中にある、平地に鎮座すれども社殿を圍みて敷百年を經過せし老樹森々として梢を交へ蒼翠蟠蜿、蔭翳晝尙暗く神靈の崇高を感得せしめる。祭神は國常立尊にて勧請の年月な不詳なるも往古より天正の頃まで香宗、土居、中の村、古川、赤 岡、富家地方の總鎭守であつて社内の建築は香宅我部氏の營繕に依つた。香宗我部氏ば當國の舊名家にして其の祖先は新羅三郞義光五世の裔、一條次郞忠賴に出づ忠賴罪ありて鎌倉に殺され其の家人中原四朗秋家は忠賴の孤兒なる小太郞秋通を奉じて土佐に下り建久四年始めて香美郡の宗我部及び深淵の兩鄕地頭職に補せられた、而して香美都宗我部に居りしより香宗我部氏と稱し武田、中山等の數家に分れて子孫連綿として今日に及んだものである、されば香宗我部氏がこの地に居城の時 は神領ニ町四反餘あつた、山內氏入國後は上り地となつた。國史現存の古社にて三代實錄に云ふ淸 和天皇貞觀十二年三月五日丁已詔授土佐國從五位上立山神正五位下、陽成天皇元慶三年已亥九月廿七日、正五位下立山神社正五位上、と此の社號は中古立仙神社と稱し明治元年辰三月改稱して再び 立山神社と稱し明治五年に鄕社に列した棟札には寶永元甲申九月、明和六已丑年九月のものがある此の社の祭神には香美郡の立山氏なるものの祖神を祭るとの説を谷重達の秦山集に載せてある、神 体は阿彌陀木像である。

中村町不破八幡宮

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