神崎城

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

又同年十月に高岡郡浦の內村に神崎城ありて武家方に攻められてゐる。 大高坂城は要害頗る堅固にして久しく武家方に攻められしも陷らなかつた、殊にその戰の行はれたのは西大手にてその所には矢倉が設けられてあつた佐伯經高はその矢倉に向つて常に攻擊を續けてゐる。城廓に矢倉を設けたることは當國にては大高坂城の佐伯文書にて初めて發見する然しながら南北朝以前の城廓は後世の城廓に比較すれば頗る簡單にして山岳を利用し石壘を設け濠栅を廻らし肉迫戰.に對する最後の防禦陣地にして單なる屋敷城に過ぎなかつた。

城の起源

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