安芸城由緒
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第三章武家美術時代
第二節建築
二、城郭建築
安藝城は現今の安藝町の北方半里土居の丘陵にあつて安藝氏の築く處で世々の城泚であつた、安藝氏は安藝鄕五千貫の領主にて其の先蘇我赤兄より出づ赤兄天武天皇壬辰の亂に土佐に流され子孫大領職を世襲し傅へて安藝氏又惟宗氏とも稱す永正中安藝備後守元親に至る、子山城守元泰、孫備後守國虎あり、父祖の餘烈を繼ぎ勢力隆然一時東郡に震ふ、永祿四年國虎兵三千を率ひ其の姻家一條氏加兵三千を併せ總勢六千にて不時に長曾我部元親の岡豐城を攻む、城兵奮戰して安藝の兵利あらず後永祿十二年元親又大軍を率ひて安藝に逆襲せしに八流山のー戰脆くも打敗られ家臣小谷四郞右衛門は裏切し敵に間道を敎へ橫山民部は安藝城の井戶に毒を投せしかば國虎も遂に決する處あり。
