山田城の由緒

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

山田氏の城廓は香美郡山田町の東方大楠植村楠目にあつた。本姓は大中臣氏中原太郞秋家に出づこと吾妻鏡に見ゆ、秋家は建久年間に香宗我部氏の祖一條次郞忠賴孫秋通を擁護して土佐に下り子孫香宗我部氏と相並び香美郡中の名族であつた文朋天文年間に下總守基道、治部少輔元義があつた、元義は釆邑三千貫を領し土佐七守護の一となり勢極めて盛大なりしが晚年驕奢に耽り政衰へたるに乗せられ天文二十年泰國親の爲めに攻亡ぼされた。

城の起源

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