本山城由緒

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

本山城は本山町土居の背後に築かれてあった、本山氏累代の城廓であつた、本山氏は淸和源氏吉良の庶流に出で始祖八木伊典初めてここに起ち其の子泰明、孫茂宗左近大夫と稱す豪邁にして兵を善 くす、土佐、吾川のニ郡と高岡郡の一部を領し勢一時南國に震ふ後薦髮して梅慶と號し朝倉城に築 きて之れに居る、その子茂辰式部少輔と稱す驍雄父の風ありたるが梅慶の歿後泰元親と戰ひ敗れて 阿波に走り後害せられた。慶長六年山內ー豐其の臣山內刑部をして土居の城を守らしめた、寬永十月十一月野中玄蕃この城に居り寬文拾年六月孕石元政これを城としたるが元祿十ニ年七月孕石元政隱居し、寶永四年八月孕石主水元矩この城に居り正德四年七月元距死亡の後は藩主往來の旅館となつた。

城の起源

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