吉良城の由緒

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

吉良城は弘闹衬にて荒倉神社南方の吉良峯にありしものにして吉良氏累世の城廓であつた、吉良氏 は本姓源氏にて土佐冠者希義の一子八郞の後である、子孫連綿として茲に在城し吉良氏と稱した、 天文年間伊豫守宣經あり賢にして學を好み周防大內家の遺臣南村梅軒を聘して程朱の學を開いた世 に之を南學と稱す、其の子孫に駿河守宣直に到る釆色五千貫を領し土佐七守護の一となる。

城の起源

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