吉良城の構造

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

勢盛なりしも永禄六年秦元親の爲めに滅された、後元親弟左京進親貞を封じ吉良氏を稱せしめた、親貞の子親實天正十八年卒してより城全く廢せられたが現今にては空し本丸、ニの丸の趾を殘すのみである。

城の起源

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