高知城外廊

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

なれば夕暮れ汗流れ肝消ゆる如くに縮まる外の家ならましかば立ちゐも苦しかるべきにさすが廣きしるしにや夜に入りぬれば池の面凉しく御亭へも風吹き入る此の亭は馬塲殿よりは勝手廣く緩やかなり、かりそめのおましもいと淸らに戸障子窓床迄でもさまざまありてー樣なり板はことごとに目もぅつりて記し難し云々と。かくて高知城は大高坂山の天嶮を中心とし北は江の口川、南は鏡川、東は入江、西は古池と江のロ 川上流の天然の地形を利用して築城せられしが其の設計は內外のニ廓に分たれてゐた。その外廓即ち總曲輪は北は江の口川、南は鏡川、西は南奉公人町の東端に南北に長き古池を外掘となして一 直線に北へ升形を過ぎり北奉公人町の東端なる川岸端より北へ柳橋に通する堀を掘り東側に幅ニ間高さ一間三尺の土手を築いて城の西方の防備を嚴にし更に城の東方の守備は外堀を廿代橋の南の元與カ町の東端の蓮池町より南方へ一直線に土橋の南堀詰にて西に折れ更に南へ金子橋を經て片町の西端まで廣さ十間の堀を設けて西側に土手を築きて松を植え幅ニ間高さ一間半の堤上に老松亭々として枝を交へてゐた、而してこの外廓の內側即ち總曲輪の內は侍屋敷のみにて平民の住居は許されず庶民は下駄をはきての通行は禁ぜられて傘をさすことも遠慮し、此の外廓内の通行は城に近き町を避け、九反田、朝倉町、中島町、通町を西へ雁切橋に出づる道を選んだ。

城の起源

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