高知城の排水工事

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

土佐の治城として豪雨多き故に石垣の崩壤を避けんことを努め排水に對しては非常なる注意をなし完全なる装置を施しその排水路は用意周到にして巧妙を竭してゐる、即ち排水路も亦大体の地盤が螺施狀をなせるに順応し蠅螺旋狀に旋回し高臺なる本丸、二の丸、三の丸、杉の段獅子の段なるニ万六千餘坪の雨水は一方面に落ちる危險を避け三方面に分れて落ちることとしてある、即ち本丸の南の雨水は西に廻りて獅子の段 に落ち臺所屋敷の雨水を集めて櫻山の西の堀に落ち、本丸北の雨水は北に流れ東に折れて藤並神社前の堀に落ち。ニの丸は東が低く三の丸に雨水を運び三の丸は北が低く江のロ川に落ち、獅子の段は東北と西南へ低く、桃の段は西南へ低く杉の段は東と北へ低く雨水はその方向に螺旋狀に廻旋しつつ流るることとなつてゐたことは頗る注目すべきことである。次に城內の建築を城門附近の平地の建物より始め漸次上方へ杉の段、三の丸、ニの丸、本丸の順序に述べよう。

城の起源

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