鐵具扉

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

門の扉は引戶を禁物として開戶を選んである城內の戶は全部開き戶であつたそれは戰鬪の塲合の都 合に基いた大手門にも中央左右に大なる開き扉がニ枚あつて各々高さニ間ニ尺幅一間半にてその左 右は小なる潜り戶があつて各々高さ八尺幅六尺五寸である。大なる扉にはその周圍を幅七寸五分厚さ五分の鐵板を以て包みたる上に更にその内方は四寸幅に五分厚みの鐵板を縦にして五寸づつをに隅てて縱に平行に並べて堅固にその鐵板にて表面を八等分して區劃し更にその大扉は上下を橫に七 列にその間を一尺五寸づつ隔てて六葉の金具を一列に九個づつ合計六十三個を打ち附け裝飾として 施してあつた。又大なる扉の貫木の釘隱しは直經八寸五分ある圓形の釘隱しにて大なる乳が附けてあつた、而して 追手門に用いた金具は有名なる土佐の及鍛治藤原重次の作であつて左の如く金具の裏に銘があつた「寬文四年土州住藤原重次壹人而大門潜共出來十一月吉日」

城の起源

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