由緒ある肘壺

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

更に又この追手門の大なる扉の蝶番の大なる肘壷は高さ一尺六寸直經五寸にて鑄造にあらすして鎚にて鍛ひたるもの橫金の長さ四尺三寸ありこれにつき次の傳說がある。この肘壺は元備中靑江の人なる不動義胸と云ふもの土佐國能茶山に住して刃鍛治なりしか國主の召により苦心して之を鍛ひたるにその苦心に對する恩償の寡きを怒り他國に去つて苒び歸らざりしと但しこの說には國主を憚りてか確實なる記録はない。 かくして寬文四年十ー月廿日には大手門落成の祝儀として半切に錢をー杯入れ更に餅をも半切にー 杯入れて拜觀人にばはせ又酒を賤しき草屬取にまで飯ませて祝つたとの舊記がある。

城の起源

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