庭方
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第三章武家美術時代
第二節建築
二、城郭建築
而して城內は守備警戒が嚴であって二十八箇所も番所が各所にあり御作事方役所と御庭方役所と掃除方役所の三役所もあった、そして國主が各門を往來の時山內家一族の諸門往來の時は御番の橫目より前以てこの三役所と二十八ヶ所の番所へ通知して故障ど不都合なき樣に警戒した。
藤並神社の境内は往時は野中蒹山の邸趾であつて邸內廣濶建築宏莊であつて忠義公も時々遊びに訪 れた、兼山失脚後は忠義公の繼室園池氏がニの丸より移りて住せしことがある、然るにその後文化ニ年に今の社殿を造營したものである
