南馬場

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

御厩の南方へ入ると現今の公會堂の處が往時は福岡丹波の屋敷にて後世にては東西七十九間の長き馬塲となつてゐて甞て安政地震の時藩主及び一族の避難の爲めに建てたる假御殿ありしも萬延元年に取除いた、而してこの馬塲は乗馬の稽古には後世あまり使用せずして國 主の籠かきが籠をかく稽古や鋏箱をかつぐ稽古、鎗持ちが鎗を持つ稽古などをした、又慶應三年五 月頃は藩主が令をなして此馬塲にて銃砲練兵の稽古をなし後には西大門前の馬塲に移して行ふた。

城の起源

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