北の城門と附近

トップページ高知県の観光高知県の美術第三章武家美術時代>北の城門と附近

第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

北の城門附近は內堀がない爲め江ノロ川南岸の石垣を殊更に高くしその堤上に榎を植えて今にも老樹の並木が現存してゐる、榎はその若芽が食するを得べく幹は馬具となり皮は藥用に供せられ又その實も食することが出來るので籠城の時の用意に植えてあつたことは前記の通りである、北の城門は西の城門と共に非常口にして特殊のものの外は重臣といへども通行を禁ぜられてゐた。その構造は東西の石垣に誇りて建てられ東の石垣は長さ十三間高さ貳間、西の石垣は長さ九間高さ貳間にて門の實際の長さは六間にて東西石垣の上に載せられて誇り瓦本葺の入母屋造にて北面し重層にて階上に窻を設け楝高くして邱尾を楝飽りとなし建坪三十六拜にて城門の扉には八双金具やその他の金具を取附け乳を附けた釘穩しを用い堅固に建てられて莊嚴にあつた。

城の起源

トップページへ戻る  高知県の観光へ戻る 
高知県の美術へ戻る