西の丸

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

而してこの西門の東北の石垣の上は西の御丸といつて地面三反余あり慶長年間には豐前小倉藩主毛利吉成の妻と子吉政を一豐が預りここにゐた後忠義公の御姬君で松下石見守の室なりし方が歸國してこの所に住んでゐたが後に蜜柑畠となつてゐた、西の城門より東上方へ行くと石段を上つて井戶の前に出で道は左右に分れてゐる

城の起源

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