箭竹の由来
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第三章武家美術時代
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第三章武家美術時代
第二節建築
二、城郭建築
藩政時代にこれ等の社の祭日には西の城門を開き 庶民の參拜を許した、この社殿を經て東の杉の段に到る途中には往時はしのべ竹と云ふ箭竹を植えてあつた、それは籠城の時に矢の盡きし時に使用する爲めであつた、現今にては杉の並木の間に寒 竹が數百萬本も密生し單にこの方面のみでなく南面の現今縣廳の上にも密生し其の根にて地面をしばり土砂の崩壤を防いでゐる。
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