下屋敷

トップページ高知県の観光高知県の美術第三章武家美術時代>下屋敷

第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

この下屋敷は東西の長さ百七間餘ありて總坪數貳千九百十五坪に達し國主の隱居屋敷にて枌葺の善美を竭せる殿閣廓臺が建て連ねられてあつた、この屋敷を後世の者が少將樣の屋敷と呼んだのは十ニ代豐資公が從來國主の官位は從四位侍從を以て常任とせしが天保三年少將に昇進し仝十四年退隱して茲に起居し能樂狩獵を嗜みて悠々餘生を送りしに依る、此屋敷內の建築は時代によつて少しづつ變更されてゐるが茲には豊資時代にこの所に長く奉任せしものの實話ど維新當時の實測圖とに基きて記述する。

城の起源

トップページへ戻る  高知県の観光へ戻る 
高知県の美術へ戻る