銅爐

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

明治五年に未だこの屋敷の現存せし時の調書によると建物を十ニケ所に區別し下邸は七百四十九坪、下邸の長屋百二十一坪、下邸の物置七十五坪、納戶方が十八坪七步五厘、下邸の銅鑪が五坪、同庫が七坪五步と十五坪、六坪、三坪七步五厘、十五坪の五楝にて物見三坪、柵門貳步五厘となつてゐる

城の起源

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