石垣
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第三章武家美術時代
第二節建築
二、城郭建築
然してこの高知 城の石垣は藩祖ー豐の築城に際しては石工を近江國穴生のものを採用して之れを築かしめた、同地の石エは當時全國に妙エの名を得てゐた、而してその石垣は北側よりエを起したるが南側は期日迫り急ぎて築きたる爲め稍粗雜となつたと謂はれてゐて總て北も南も橫石を用いてある斯くしてこの石垣は寳永の地震や安政の地震其他豪雨などの爲め數回崩れ築き直しをなしたものであるが城廓中にて最も立派に築かれてあるのは三の丸西北隅の石垣にて巨石の形よく揃ひその築き方巧妙にしてその外劃の曲線弧狀をなして優美に反り最も美觀を呈してゐるがこれは備前侯の寄附によつて築い
たものであると傳へられてゐる