近藤洞簫筆

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

又三の丸の大玄關の衝立の繪は近藤洞簫益尙の筆であつた、この繪は豐昌より揮毫の命ありしも洞簫即時にこれを畫かず數月を經過した、豐昌怒りて閉門を命じたが一日黑雲俄に起り龍卷き起り大雨沛然として來る洞簫之を見て急に登城し衝立を三の丸の椽側に出さしめ兩水を硯に受けて龍を描きしが墨痕剛健筆勢巧妙にしてその枝神に入るに至つたと謂はれてゐる。然るに享保十二年の大火 に是れ等の名書を集めたる金殿玉樓は一朝にして焦土と化した、然して寶曆三年十一月に再びこの三の丸に殿閣廓臺が建設せられ昔日の偉觀を呈するに到つたがその構造は從來の建築と大差がなかつた、屋根は入母屋造の枌葺にて主要なる表の部分には唐破風を出し玄關は往時の如く南面し唐破風にて式臺より入りて東に行きて北に折れて行けば鶯張りの椽ありてこの椽より遠く五臺山の翠岱を望むことが出來た

城の起源

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