二の丸化粧の間

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

ニの丸の化粧の間の欄間は桐に鳳凰の模様の透彫になつてゐたが幅ニ尺餘にて長さ九尺あり厚き桐の木を透彫とせしものにて高知にてもその费用を見積らせしに八百匁の高価なりしを以て上方へ注文せしに三百五十匁にて安價に仕上つた、それを手に取りて見る時は粗末なる如きも欄間として高く揭げて下より見上ぐれば刀痕鮮かにして優秀なる彫刻であつた、斯くして此のニの丸の高台樓閣は荘觀を呈せしに享保士一年祝融の災に逢ひ延享ニ年に再建したがその規模は往時のものと大差はなかつた。構造を變更して改築することは幕府が許さないこととなつてゐたからである。

城の起源

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