百猿各間

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

大廣間の西隣の室は西猿の御問と呼び十四畳敷の室にて百猿の衝立があつたのでその名がある北側に御弓床がめつたので御弓床の間ども云ふ其の北隣に次の大廣間があつた、その廣間は表玄關隣の大廣間よりもずつと廣かつた百猿の間の南側は中舖居にて西南隅に手水所があつて南方は庭を距てて外塀に對し西隣の室の北は櫻の間にて南は七畳半の梅の間となりこのニ室と百猿の間との問には舞良戶を入れて優秀なる裝飾の畫が描かれてあつた、櫻の間の西側には東向の床があつてその西側は躑躅の間で西北方の中庭に 接近せし北へ一室を距てて御膳所の室があつた、梅の間の西隣室は十畳敷にて芦雁の圖を描きし故 に雁の間と呼びその南は十三疊の通りの間にてまいら戶に太公望を描いてあつたが筆カ豪宏不覇の傑作であつた。雁の間の西隣は前述の上段の間にて國主はここに毛氈を敷きて座し部下に謁見する のであつた

城の起源

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