奥御殿の職制

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

次にニの丸奥御殿の職制其他を記すると維新の頃の奥御殿には藩主の夫人は尊王佐幕の爭亂の爲め德川幕府の威令行はれざりし爲め江戶に行かず茲に起居した、次に側室一人にて正室に劣らぬ勢カを有し侍女四五人を從へてゐた、側室は事務は執らないから奥御殿の萬事を總括する人格手腕共に優れた御老女と呼ぶ五十歲前後の女が置いてあつてその下に若年寄と名づくる四十歲前後の女があり次に中老と呼ぶ三十歲前後の女が置いてあつてその下に御侧女中三人が仕へた、是等の御殿女中は何れも士族にて何れも侍女を從へ御側女中にても一人づつの侍女を伴れてゐた、そして御側女中は十四才以上ニ十三四才に至る娘盛りの美女であつた。その次には御側小姓といつて十才前後の女兒が仕へてゐた。

城の起源

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