天守閣

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第三章武家美術時代

第二節建築

二、城郭建築

天守閣を初めて山内一豐が建つるに際して遠州掛川城の通り風流に建て椽を繞らし高欄を施さんと せしを家老等より四國は云ふまでもなく他國の諸藩の城の如きも高撊なきを以て目立つ旨を忠言せしより岩田平藏を使者とし德川幕府に請ひその許可を得て一豐の希望通り建つるを得たが現存の天守閣は享保の火災に燒け延亨四年十ー月廿五日豐敷公の時に再建せしものにて文政四辛已年四月に 一部分修理し弘化三年四月より六月に涉りて大々的の修覆をなした本丸の地上よりの高さ約十間、 頂上より四面の展望絕佳であつて遊觀者は現今に於て四時絕えない。而してこの天主閣はその外觀が三重梢櫓に見ゆるもその內部の柱と梁の組立を構造上より研究するとニ階造りとなれる三つの大中小の櫓を集めて上下に積み重ねて六階造とした構造となつてゐてその各層の屋根も屋根裏も壁も漆喰にて全部塗り白堊雲表に聳え美観を呈してゐる

城の起源

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